在日

最近、様々な人に出会う。
最も記憶に残っているのは在日韓国人の人との出会いである。

朝鮮問題における厳しい、けれど決して答えられなくもない質問をいくつも浴びせられた。
拉致問題
北朝鮮テロ支援国家指定解除の話。
人権問題。
僕はそれにうまく答えることが出来なかった。
「そんなことも知らないの?」
その厳しい視線に僕は胃が痛くなる。
その、上から目線と多少なりとも排他性のある言葉尻に多少の苛立ちを感じた。
しかし、それ以上に僕は自分自身の知識のなさ、漠然とした考えの浅さに苛立ちを感じた。
彼は日本において在日というマイノリティーとして生き、一つ一つの問題に意見を持っている。
一方において、何も考えることもなく、マジョリティーの中で漫然として生きている自分。
専門学校を卒業した後に、フリーターとして生きている彼。
大学を卒業し、就職へ向かう僕。
年齢差はそれほどない。
しかし、生き方、そして考え方の差にとてつもない距離を感じた。
おそらくそのマイノリティー性が彼の人生に大きな影響を与えていることは間違いない。
「日本と朝鮮を知った上で自分の考え方をもってほしい。それが重要なことだと僕は思います。」
そう言われた。
しかし、僕が考えを持った上でも、果たして肯定してもらえただろうか?
僕は、在日と日本人に溝を感じてしまった。
そのとき、彼は日本人としての僕を見ていたのだ。
自分と同年代の日本人が真剣に考えているのか否か。
もう彼に会うことはないかもしれない。
しかし、僕はいつまでもこのことを覚えているだろう。